七草粥にはどんな歴史と由来が
あるのでしょうか❓
正月七日は、五節句の一つで
新年最初の節句・『人日の節句』です。
昔から中国では、一月一日を『鶏の日』
二日を『狗(いぬ)の日』
三日を『猪(=豚)の日』
四日を『羊の日』、五日を『丑の日』
六日を『午(うま)の日』として
それぞれの日にはその家畜を
殺さないようにしていました❗️
七日は『人の日(人日)』で
犯罪者への刑罰を行わなかったとも
邪気を祓(はら)う日だったとも
いわれています。
また中国の『荊楚(けいそ)歳時記』に
『正月七日を人日と為す。七種の菜をもって
羹(あつもの=汁もの)をつくる』とあり
七種類の菜の吸い物を食して
無病を祈る風習があったそうです💪
これら中国の風習に、宮中で正月十五日に
米・麦・小麦・粟・黍・大豆・小豆の
七種類を入れた七種粥(ななくさがゆ)を食べる
供御(くご)の粥の行事と、新年最初の子の日に
行われてきた若菜摘みの習わしが合体して
七草粥の行事になったといわれています📖
七草粥の始まりとしては、平安前期に
宇多天皇が、初めて七種の若菜を入れた粥を
神に供えて、無病息災を祈念したのが
始まりとされているようです❗️
江戸時代には、正月七日に将軍が
七草粥を食べる祝儀が定着し
庶民にも浸透していったといいます❗️